冷やし中華ラプソディー

発祥の地

 

 冷やし中華は仙台発祥と言われるが、冷やし中華発祥の店については、

東京・神田の揚子江菜館とするもの、仙台・錦町の龍亭とするものの

2説があるようである。

 

 

 この間の事情については、NEWSポストセブンが2013年と2014年に

2年連続で記事を掲載している。

 

 

冷やし中華の起源店は神田か仙台か? ラーメン評論家が解説  2013.08.27

   https://www.news-postseven.com/archives/20130827_207241.html?PAGE=1 

 

冷やし中華 元祖と言われる東京・仙台の2店の味や盛り付け 2014.07.13

   https://www.news-postseven.com/archives/20140713_264688.html

 

  記事中に登場するラーメン評論家の大崎裕史氏

 

   「冷やし中華はむせるほど甘酸っぱくて飲めないタレが特徴。

   そういう意味で、元祖は龍亭でしょう。龍亭から全国に広まったのも間違いありません。

 

 とはいえ冷やし中華といえば、玉子やきゅうり、ハムなど色とりどりの具が

華やかに盛られたスタイルも特徴。

   この盛り方の元祖は揚子江菜館の“富士山盛り”です。

 

    味と盛りつけ、この2軒の融合が、現在の冷やし中華を形作ったといえそうです」

 

 

 


 

 

 

 仙台の地で冷やし中華が開発されるに至った経緯については、

速水英夫「仙台はじめて物語」(創童社)が、

地元の中華料理店「泰陽楼」創始者の呂栄桂(ろえいけい)会長、

「龍亭」四倉蝶子(よつくらちょうこ)店主のインタビューを掲載。

 

 暑い夏にも売れるラーメン、夏の風物詩を、という先人の熱意と努力を描いている。

 

 「龍亭」四倉蝶子店主の言葉、

「美味しい水に恵まれたから生まれたのではないでしょうか。」

も印象的である。

 

 

 

 意外なところでは、仙台医師会の情報誌「てとてとて」が、仙台の冷やし中華のルーツを探る記事を掲載している。

 

 その要旨は次のようなものである。 

 

 

 『昭和8年「三越」進出の際に、大型店進出反対の闘士だった故柴田量平は、

家業の洋品店を廃業、喫茶店と中華料理店「珊瑚」を開業。

 

 そこにコックとして、後に「泰陽楼」創業者となる呂振植(呂栄桂氏の父?)

が採用される。

 

 その後、呂振植は虎屋横丁にあった中華料理店「彩華」に勤める。

 

「彩華」にはお座敷帰りの芸者が多く、その夜食として考案されたのが「冷やしソバ」。

 

 錦糸卵、キュウリ、チャーシューの千切りなど、具は現在と変わりないが、

当初は醤油を水で割っただけのタレで、うまいものではなかったという。

 

 同じ頃、「龍亭」創業者の四倉義雄が組合長を務める「仙台支那ソバ組合」も、

夏場のラーメン売り上げ低下に悩み、打開のため

組合員は閉店後に「龍亭」に集まり、検討を重ねていた。

 

 その結果、「冷しソバ」が生み出される。

  四倉組合長が「涼拌麺(りゃんばんめん)と名付け、

業界の発展のために商標や実用新案などは申請しないこととした。

 

(しかし、日本は戦時体制へ。涼拌麺はメニューから姿を消していく)

 

 

 

 戦後。

「夏場に売れるラーメンを工夫してくれ」という組合事務所の専従者

谷香之助の言葉にしたがって、

トマトケチャップやゴマ油、酢醤油、スープなどで独特のタレが考案される。

 

 これを作ったのが呂振植。

 

仙台の冷し中華は、仙台支那ソバ組合と呂振植の連携によって

現在のような姿になった・・・』 

 

 

               「てとてとて」 仙台名物のルーツを探る 冷やし中華」

 

 

 

 

 

 龍亭ホームページ。

   http://ryu-tei.jp/

   メニューにも「涼拌麺(元祖冷し中華)」の文字が。 

  

 涼しげな別添えのガラスの器に具の彩り。

 一般的な冷やし中華の味とはやや一線を画す、マイルドな酢の風味が印象的。

 

 文字どおり「冷」よりも「涼」の語感が似合うような、柔らかな味わいである。

 

 

 

 (ここの麺の盛り付けは、かつて赤塚不二夫、山下洋輔、筒井康隆、タモリ、

 平岡正明らが結成した「全冷中(全日本冷し中華愛好会)」の中の一説

 

  「冷やし中華の麺の形状は、銀河星雲の数億光年の渦巻きを

 表したものである!」

 

  壮大な宇宙の事象をその形態の初源に持つというテーゼを

 あらためてホウフツとさせる印象もあって、

 

 個人的にはなかなか奥深いものを感じてしまう。)

 

 

 


真冬の冷やし中華

 

 「トランヴェール(東日本旅客鉄道株式会社)」2008年7月号に、

2003年から2006年まで東北大学大学院に在籍し、

同大相撲部監督でもあった(今も総監督?)内館牧子が、

エッセイ「真冬のひやし中華」を寄稿している。

 

 以下はその引用(抄)。

  

  

 

 ・・・その年の冬、彼女(東京の冷やし中華が最高と思っている友人)

青森で仕事があり、帰りに仙台で下車した。

 

 私は何も言わずに「龍亭」に連れて行き、

「涼拌麺」を二つ。胡麻ダレでください」と注文。

 

 彼女は涼拌麺が冷やし中華だとは思っていない。それも真冬だ。

 

 やがて運ばれてきた涼拌麺を見た瞬間、彼女は眼をむいて叫んだ。

「何これ! 冬よ!」・・・

 

    ・・・だが、冷やし中華は昭和12年に「龍亭」の主人を中心として、

ざるソバをヒントに考案されたものである。

 

 ・・・彼女はうなった。

 「さすが、盛りつけも和食の粋だわ」

 

 ・・・結局、彼女は冷やし中華をもっと食べたいがために、滞在を一日延長。

 

 私は一番町や国分町の店々を案内し、

東京ではあまり見ないつゆだくの冷やし中華や、

麺が見えないほど豪勢に三陸の魚介がのったものなど、

雪の仙台で朝昼晩とつきあった。

 

 帰京するとき、仙台駅で彼女は言った。

「どの店もおいしすぎて泣けたわ。何でもお江戸が一番と思っちゃいけないね」

 

 私は仙台人のような顔で答えた。

 「そうよ。伊達藩をなめちゃいけないよ」

 

 


 

 

 

    柳亭では、バブル期には、あまりに(冷やし中華の)注文が殺到したため、

客を待たせないように先に具だけを提供する二段構えの構成とし、

 

さらにその後の不況期には味の改良に取り組み、

レモンとオレンジの搾り汁を加えて角の取れた新しい味わいの

タレを、3年をかけて開発する。(菊地武顕「あのメニューが生まれた店」平凡社)

 

    今や不動の定番の感のある龍亭の冷やし中華だが、その陰で工夫と改良に

不断の努力が続けられていることが感慨深い。