牛タンブルース

牛タン焼きの系譜

 

 

   『杜の都の牛タンパワー   スタミナ満点、止ーめらーれない〜♫』

              (東北楽天ゴールデンイーグルス  チャンステーマ)

 

 

   近年、仙台のソウル・フード的な存在として爆発的人気を得ている牛タン。

 牛タン焼きも仙台が発祥の地であり、「太助」主人の佐野啓四郎が提供したのに

端を発するという。

 

 その経緯については、これも上掲「仙台はじめて物語」に、

佐野本人への取材内容が掲載されている。

 

 概略は以下のようなものである。 

 

 

 

 

🐂 佐野啓四郎は現在の山形県河北町出身。

  仙台に出て仙台ホテルで調理場の下働きをするが、縁あって上京し、

  芝浦の割烹料理屋に勤める。

  ここでフランス料理の牛タンシチューと出会う。

 

🐂 その後宮城県に戻り、料理人として経験を重ねる。

  戦時中は柴田町の海軍工廠に徴用されるが、終戦とともに仙台に移り、

  焼鳥屋を開店。

 

🐂 その間も牛タン料理への熱意はやまず、山形、福島、岩手などを

  駆け回って入手に奔走するとともに、料理法の開発に腐心する。

  試行錯誤と工夫を重ねた結果、牛タン焼とテールスープの調理法を開発する。

 

🐂 昭和23年に店を「かき徳」脇に移転。「太助」と名付ける。

  「太助」の由来は、当時、近所の飲み屋は戦争未亡人など女性の経営者が多く、

  酔客のケンカのたびに佐野が<助け>を求められ、

  仲裁していたことにちなんだものという。

 

  太助のメニューに牛タンが登場したのは昭和25年である。

  

             ー井上英子「仙台・牛タン焼物語」(笹氣出版)ー

 

 

🐂 昭和27年、再び稲荷小路に移転し、牛タン専門店となる。

 

 ※「太助」はその後、昭和52年に現在の「味太助」本店の場所に移転する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「仙台・牛タン焼物語」では、巻末で、宮城学院女子大学食品栄養学科の

正木恭介博士が牛タン焼定食の効能について解説している。  

 

かいつまべば・・・

 

 

     🐂牛タン肉・・・良質なたんぱく質が豊富で、鉄分も含有。

     (牛タンの部位ごとに成分を分析したグラフも掲載されている。

  

それによれば

     

タンパク質及び鉄: タン先>ミドル>タン元

脂質: タン先<ミドル<タン元

ビタミンB1、B2: ほぼ同じ )

 

  🐂テールスープ・・・コラーゲンが豊富。

 

🐂麦飯・・・ビタミンB1、B2を含む。

      糖の吸収速度が遅く、糖尿病や肥満にも有効性。

 

  🐂白髪ネギ・・・硫化アリルに、ビタミンB1の吸収促進と血液凝固の抑制作用。

 

  🐂味噌漬け・・・味噌の材料である大豆中のイソフラボンに、

  更年期障害の予防や血中コレステロールの低下作用。

骨量低下防止。

 

🐂青とがらし・・・主成分のカプサイシンが脂肪燃焼の活発化、血行促進。

 

🐂漬物・・・食材キャベツの成分キャベジンに、胃粘膜の修復作用。

同イソチオシアネートに癌の抑制作用

 

・・・などなど。

 

 

 

 (・・・堂々たる薬膳の風格である)

 

 

 

 佐野啓四郎による牛タンメニューの登場から70年。

 今では、牛タンは仙台の名産として定着し、多くの牛タン専門店が味を競う。

 

 各店の品評は他のサイトやガイド誌に委ねたいが、

総じて後発・新興の牛タン店は、牛タンへの抵抗感を薄め、

柔らかさや肉厚感との両立などを志向する、

洗練された味へのトレンドが感じられる。

 

 

 その中で創始者・佐野啓四郎の系譜として、

長男氏の「味太助」、

娘婿となった一番弟子氏の「旨味太助」が、

それぞれ先代啓四郎の味の継承を標榜している。

 

 こちらは素材感をいかした野趣ある食感と旨味に、

心惹かれる。奥行き深い味わいである。

 

「太助」ホームページ

http://www.aji-tasuke.co.jp/history.php

    「旨味太助」「ホームページ

http://www.gyutown.com/gyu_shop/tasuke/

 

 

 


天晴れ!な牛タン?

 

 冷やし中華と平仄(ひょうそく)を合わせるように、牛タンについても、

著名人が旅行雑誌に、仙台でのエピソードを寄せている。

 

  

 もう30年以上前の記事であるが、野球界の週刊・ご意見番。

(日曜の朝)8時半の男こと、ハリー・張本勲氏。

(「旅」日本交通公社1984年12月号 

『14人に聞きました お勧め!旅で見つけたとっておきの味」』)

 

 

 

 「牛のタンで、すごくおいしいところが仙台にあるんですよ」で始まる談話では、

 

名球会の野球教室で仙台に行った際に、仙台の名物として

 地元の友人から勧められた。

 

ふだんは焼き肉屋では、東京でも大阪に行ってもタンとレバーは食べない。

 しかし、そこのタンはびっくりするほど美味しくて、4,5人前食べて帰った。

 

次の日、体が非常にポカポカだった。

 

野球教室に一緒に行った長嶋さん、金田さんにそのことを話すと、

 「しまった!」と。すごく残念がった。

 

今でも他ではタンは絶対に食べないが、以後3,4回はその店に足を運んでいて、

 自分にとって仙台の味と言えば、これ。

 

・・・などという内容が語られている。

 

 

 

 1984年は、「太助」が牛タン専門店となってから30年ほど経った時点。

 牛タンが焼き肉屋の部位メニューの延長のようなかたちで取り上げられているのが、

当時の牛タン専門店の認知度の、まだまだディープなローカル性を感じさせる。