森茉莉が仙台にいた7か月ほどのあいだ住んでいたのは、仙台市元柳町71である。
その場所はどこにあったのか。
◆元柳町の町名は現在は存在しないので、インターネットから入手できる手掛かりとして、住居表示による旧新町名の対照を検索する。
仙台市ホームページ https://www.city.sendai.jp/
ホーム > くらしの情報 > 手続きと相談 > 住民票・戸籍など > 住居表示実施状況 > 仙台市の住居表示実施状況>「旧・新住所対照表(ま~ も)」で元柳町を参照。
(http://www.city.sendai.jp/kosekijumin/kurashi/tetsuzuki/koseki/jisshi/hyoji/documents/07ma.pdf
260ページ。)
しかし、元柳町71は新住居表示に対応する旧町名として登載されていない。
同地が戦災復興土地区画整理事業により、宅地ではなく住居表示のない用途(道路、公園等の公共施設)に供されたことを示唆するものだろうか。
なお、戦前(現在の住居表示制度の実施前)は、道路方式を基本として土地の地番を住居番号とする取り扱いだったようである。
◆これらの情報を参考に、幾つかの戦前の資料に当たり・・・
〇大正15年地番入り仙台市全図(川名文明堂:仙台市民図書館蔵)
〇仙台法務局備付閉鎖公図(和紙公図)での元柳町71、69、68番囲いの位置関係
〇仙台懐古地図のアプリ所収の大正元年仙台市全図
などを参照して考えると、当時の元柳通の西端から市電通りを挟んで向かい側のあたりが、当該地のように思われる。
陸軍将校の親睦団体の偕行社や伊達騒動で有名な伊達安芸屋敷跡と隣接し、すぐ前が市電の元柳町停留所となる場所である。
現在の市街地図(OpenStreetMap)
緑の〇のあたりが、かつての元柳町71周辺ではないかと思われる場所。
今は西公園の敷地(一部は西公園通にも?)となっているようである。
立町小学校北側市道の道路名標識「<元柳町>通り」
※ウィキペディア
「元柳町通り」は、2000年(平成12年)から始まる仙台市の「歴史的町名等活用推進事業」によって認定された道路名。
元柳町(道路名)はかつて片仮名のトの字の第2画が水平である形をしていたが、南北道の区間(「ト」の第1画)が西公園の一部となって消滅したり西公園通の一部となったりしていたため歴史的町名を認定しなかった。
その一方で、東西道の区間(「ト」の第2画)は「元柳町通り」と名付けられた。
すなわち「元柳町通り」とは、市道本櫓丁線のうち、西公園通との丁字路交差点を西端とし、本材木町通り(もとざいもくちょうどおり)との十字路を東端とする。
「<元柳町>通り」の道路名標識から西公園方向。
突き当りの西公園付近が元柳町71界隈ではなかったかと思われる。
かつての元柳町71とおぼしきあたりの現在。
公園の木々のなか木漏れ日の遊歩道が続く。
西公園内にある伊達安芸邸跡の説明版
元柳町の辻標(写真が不鮮明)。
こちらの方が作成されているHPでは、「仙台の由緒ある町名・通名を訪ねて」から「元柳町」をクリックすると辻標の写真と説明を見ることができる。 ↓
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