グーグルマップのルート計算で連坊駅から350m。
江戸末期、義太夫語りを志して江戸に出た仙台市(藩)出身の吾妻太夫という人がいた。
吾妻太夫は江戸・四谷のお岩稲荷で、志がかなうまでは妻をめとらないと願をかけ、芸の精進を重ねたところ、花形の人気義太夫語りとして立身出世を遂げる。
しかし、そのうちに慢心からかお岩稲荷への誓いを忘れ女性を持ってしまう。すると、やがて吾妻太夫は人気が低迷、零落の途をたどる。
仙台に戻った吾妻太夫は、自らの心のおごりを悔い、法運寺にお岩稲荷を祀って参詣し、お詫びと供養を続けたという。
◆このお堂の縁の下の土を持ち帰り、浮気を続ける夫に煎じて飲ませると。浮気封じに効果があるとされている・・・らしい。
・法雲寺
http://www.ho-unji.com/history.html
・田村昭編著「仙台の珍談・奇談」宝文堂
江戸時代前期に大阪で竹本義太夫が始めた浄瑠璃(物語の筋やセリフを三味線の伴奏で語る音楽)の一種。
古典落語の名作「寝床」に出てくる大家の道楽が義太夫である。店子と使用人を呼んで義太夫節の独演会を試みるが、調子っぱずれのひどさを知っている一同は用事を作り、仮病を使って全員欠席の返事をする。
怒り心頭の大家は立ち退きと解雇で脅しつけ、やむなく集まった一同の前で始まる大家の義太夫節。そして阿鼻叫喚の地獄絵図・・・?
落語のネタに取り上げられるほど庶民に定着し、無我夢中、人の迷惑も顧みず義太夫にのめり込んでしまう困った人たちがいた世相もうかがわれる。
夏目漱石も義太夫のファンで、幾つかの作品にも義太夫が登場する。実際に大正時代にも夫人と一緒に義太夫を聞きに出かけていたことが伝えられている。
現在の東京・四谷於岩稲荷のある場所には、幕府の御先手組同心・田宮家の武家屋敷があった。
田宮家初代・又左衛門の娘・お岩は貞淑な人で、養子の夫・伊右衛門と仲睦まじく、また、商家に奉公に出るなどして、苦しい家計を支えていた。
お岩は、日ごろから田宮家の邸内にあったおやしろを厚く信仰していたが、そのせいあってか田宮家は次第に繁栄する。
1636(寛永13)年にお岩が逝去した後も、田宮家の隆盛がおやしろのご利益にあるとして、近隣から「お岩稲荷」として信仰されるようになり、ついには一般町人にも参詣が許される。
四谷のお岩さんといえば「東海道四谷怪談」だが、こちらはお岩の没後200年ほど経ってから、鶴屋南北がお岩の名前を借りて書いた歌舞伎狂言の創作。
上演に伴い、四谷於岩稲荷にはさらに多くの参詣者があったという。
◆縁の下の土の煎じ薬はさすがに怖い気がするが・・・芸能人の需要殺到?
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