仙台駅東口の北端、名掛丁鹽竈神社の近くにある藤村広場。
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ここに建っている島崎藤村の草枕の碑は、もともとは八木山動物園の敷地にあった。
島崎藤村は、明治29年9月、24歳の時に東北学院の教師として仙台に赴任し、名掛丁にあった旅館三浦屋に下宿する。
藤村は翌30年7月に仙台を去るが、その間仙台の地で詩作を進め、同年8月には第一詩集の若菜集を刊行している。
昭和11年11月、日本近代詩の先駆者である藤村の功績を顕彰し、草枕の碑が八木山の当時公園だった場所に建てられた。
場所は現在の動物園のアフリカ園の一角だったという(八木山物語)。石は亀岡八幡裏手からとった花押石だった(藤一也 島崎藤村の仙台時代)。
翌昭和12年に夫人とともに八木山の碑を訪れた藤村は、「これはただの碑ではない。むしろ、青春の碑とも言いたい…」と感動したとのこと。青春の転移の起点となった仙台時代への思いがうかがわれるエピソードである。
その後、草枕の碑は動物園の造成などに伴い青葉山公園に移され、最終的に、藤村が下宿した三浦屋跡に整備された藤村広場に移転した。
昭和11年の建立に当たっては当初、刻まれている「草枕」の詩句にある宮城野原が候補地として検討されたが、第4連隊(第2師団)の練兵場があったため、はるか宮城野を望見する八木山の地に建てられたという。
当時、建立地一帯は八木山一番の高台で、桜が植樹され、将来的には「桜ヶ丘」と名付けられる予定だったようである。
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