話はちょっとそれるが、昭和9年の日米野球、11月9日の仙台の試合で先発したホワイトヒルは、11日後の11月20日、静岡市草薙球場での第10戦にも先発し、日本野球史上に名高いあの試合を沢村栄治と投げ合い、全日本を完封している。
この試合は伝説の一戦としてさまざまに語られているが、たまたま見つけた「ガン・マン」という雑誌の創刊号(家庭新社)。昭和36年9月の発行だから、もう半世紀以上前のものである。
「世紀の三大試合」と銘打った特集の中で、昭和9年の日米野球と草薙球場での試合内容が書かれている。白木高介氏という方の筆になる署名記事だが、これがちょっと臨場感あふれる名文で興味をそそられる。
ちなみに特集の三大試合とは…
・沢村投手対全米軍 草薙球場の決戦(昭和9年)
・関脇双葉山対横綱玉錦 天下分け目の一戦(昭和11年)
・KOパンチ高山と世界の王者ムーアの血みどろの死闘(昭和34年)
白木氏も家庭新社も今となっては手掛かりが見つけられないが、あまりにも惜しい気がするので、できるだけの配慮とリスペクトを持ちながらエッセンス部分を引用させてもらい、 昭和9年の日米野球について触れたい。
では・・・昭和9年11月20日、静岡草薙球場。高く澄んで晴れわたる晩秋の空。
ここから白木高介氏。
沢村はこの日、緊張した面持でコンディションもよく、キャッチボールのときからキャッチャーがミットをはじくような快速球を投げた。 ( 中略 )
第一回、一番マックネアを迎えて沢村は名捕手久慈のサイン通り、直球を投げ込めば、スピードゆたかにホップして弱いレフトフライ、つづくゲリンジャー、ボッル一つを挟んで見逃しとファウルで2ストライクから、4球目一尺も落ちるようなドロップでストラックアウト。
次は本塁打王ベーブ・ルース。のそのそと巨躯をバッターボックスにはこべば久慈の激励にニッコリ肯いた沢村は、ドロップまたドロップ、ついに5球で空振りのストラックアウトにうちとる。
第二回。 トップはゲーリッグ、さすが当時の全米随一とうたわれた強打者も、ホップする直球とほとんどかわらぬスピードをもって、うなりを生じながら投げ下ろされる快速のカーブに、三球三振。
五番フォックスも4球目のドロップを空振りしてストラックアウト。
つづくエブリルは平凡なセカンドゴロ。
「サワムラ、サワムラ!」
満場の大観衆はおどりあがって熱狂しはじめた。」 (草薙球場の決戦)
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立ち上がりしょっぱなから、ゲリンジャー、ルース、ゲーリッグ、フォックスの殿堂入りカルテットを4連続三振・・・まあ、ここは雑誌記事なので読み物風に割り切って読むのが正解かもしれないが、上の文面からは、4人に対していずれも変化球(今だと縦に曲がるカーブか。)が威力を発揮している感がある。
沢村のドロップは 、その落ち方から懸河のドロップや三段ドロップと言われていた。
直球とスピードがほとんど変わらなかったという証言もあり、今でいう縦スライダーとか、ボールの握りから高速シンカー系の球では、と推測する識者もいる。
当時の草薙球場はバッターに逆光 が差してボールが見づらかった…という全米チームの感想が残っているらしい。
それを差し引いても、それまで中等野球で1試合23奪三振など抜群の成績を残しているとしても、弱冠17歳の少年がドリームチーム相手に見事な投球である。
「第三回。 ミラーはライトフライ、つづくヘイズ、ホワイトヒルとも球にバットもかすらずストラックアウト。」
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