郵便による封書やハガキのやり取りは、
日常的なコミュニケーションの手段としては
多くの人にとってすでに影の薄いものになりつつあるが・・・
仙台市の中心部で見かける幸福色のポストと
オリジナルのデザイン・ポスト。
この両方が見られる街は、実は地味にさりげなくレアな存在な気がする。
広瀬通りと東二番町の交差点角の仙台セントラルビルの中に設置されている。
ビル1階を外側から撮影
「私設※」のプレートと、ビルの関係者以外は利用を遠慮してくださいという趣旨の説明書きがある。
私設ポストであることに留意して・・・
地下1階は牛タンシチュー丼やステーキ丼、鉄火丼の定食屋などが入居していて、
ちょっと興味をそそられる。
※郵便事業について定めた郵便法では、日本郵便株式会社以外の者にも
一定の条件のもとで私設ポストの設置を認めている。
第38条(郵便差出箱の設置) 郵便差出箱は、会社が設置する。
ただし、会社の承認を受けて会社以外の者が設置することを妨げない。
2 会社以外の者による郵便差出箱の設置に関する条件は、郵便約款で定める。
郵便約款での私設郵便箱の設置を承認する条件として
・郵便物の取り集めに支障のない場所であること
・郵便物の1日の平均差入見込み通数が10通以上であること
(内国郵便約款第187条第3項)。
また、郵便ポストは法的には必ずしも赤色でなければならないという規定はないようで、
「郵政博物館 Postal Museum Japan」のホームページ
http://www.postalmuseum.jp/column/transition/ から
「博物館ノート」→「郵政事業の変遷」→「郵便ポストの移り変わり」
を辿ると
郵便ポストの色についての解説を見ることができる。
「明治5(1872)年になると郵便が全国に実施されたため、 郵便局(当時は郵便取扱所)の数もぐんと増え、 それにあわせてたくさんのポストが必要になりました。
そこで、杉板を四角い柱のように組み合わせ、かどに鉄板を張って黒いペンキ を塗った「黒塗柱箱」(黒ポスト)が作られました。
その後、明治34(1901)年に火事に強い鉄製の赤色丸型ポストが考案されると 「赤くて丸い」ポストの時代が始まりました。
この時、ポストを「赤色」に塗ったのはポストの位置をわかりやすく するためでした。
また、かどを丸くして通行のじゃまにならないようにしました。」
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「ウイキペディア」では
日本もイギリスより郵便制度を導入したため基本的に赤色だが、 速達用としては青色、大型の集配所では国際郵便用の黄色のポストもある。
また、一部都市ではコンクリートグレーのなかで赤色が浮いてしまうため、 「景観を崩さないように」との目的で、グレー(東京都の一部)や ネイビーブルー(横浜市の一部)となっている例がある。
珍しい例では国鉄時代に活躍した郵便車(クモユニ74)を模した オレンジと緑のポストが品川駅構内に設置されている。
私設ポストでは銀色や灰色のものも多く、 法的には別にポストが赤でなくても問題ない。
日本で郵便制度が始まった初期のポストの色は赤色ではなく黒色だった。
しかし、当時公衆便所が普及し始めた頃でもあったことから、 黒い郵便箱の「便」を見た通行人が 郵便箱を垂便箱(たれべんばこ・トイレのこと)と勘違いしたり、
当時はまだ街灯などが十分に整備されていなかったため、 夜間は見えづらくなるなどの問題が起こり、
1901年(明治34年)に鉄製のポストを試験導入した際に 「目立つ色」として赤色に変えられた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B5%E4%BE%BF%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88#
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記事の正確性は不明だが、「垂便箱」との混同などの
ちょっと下世話な話がリアリティを増幅させる。
郵政博物「博物館ノート」でも 同様のエピソードが紹介されている(黒塗柱箱)
ので、そのような混乱があったのは事実なのだろう。
実際、ここで用を足された日には、投函されて中にあった郵便物は、
文字通り便箋と化すというか・・・
不謹慎とは思いながら苦笑を禁じ得ない、笑えない逸話である。
黒ポスト
明治5(1872)年
幅24.2cm 奥行24.2cm 高さ123cm
※郵政博物館ホームページ
ちなみに一般に言われる「郵便ポスト」は、郵便法上では今も「郵便差出箱」と
されている(上記郵便法第38条参照)。
上の経緯に照らすと微妙な気もする。
◆全国には様々な色変わりの郵便ポストが設置されていて、上記のウイキペディアにもその一端が紹介されている。
こちらのyahoo!知恵袋
https://detail.chiebukuro.Yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1394261808
では、黄色い郵便ポストは全国で6カ所あるとされている(2012年)。
また、郵便ポストをひたすらマッピングするというサイト
https://www.postmap.org/list?tag=%E9%BB%84%E8%89%B2%E3%81%84%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88
から、黄色いポストを検索し、そのうち現役の郵便収集用のものを抽出すると
18カ所程度が認められる。
宮城県内にあるのはこのうち2カ所。
上記のセントラルビル内のものと、
大崎市古川十日町の吉野作造の生家跡のもの※の2カ所である。
(「幸せの黄色い郵便ポスト」として地元の四季彩通り商店街が設置した丸形ポスト)
こちらは仙台市役所西側の敷地(県庁市役所前バス停の近く)に立つ。
赤い角型ポストの上に伊達政宗公の騎馬像のレリーフが設置され、「人口100万人達成」「1999仙台、新世紀へ」の文字。
刻字のとおり1999年には仙台市の人口が100万人を超えた。
同年7月がノストラダムスの人類滅亡の大予言、
翌2000年がミレニアムと仙台の開府400年。
2001年が21世紀のスタート。9・11の衝撃。
2002年が日韓共催 FIFAワールドカップ(仙台はイタリア代表の
キャンプ地)など、話題性に富んだ時期だった。
句人が振り返った明治の遠さ。
碑板の時代との距離もそれに
並びつつ、さらに遠ざかる
※大正への改元は1912年
中村草田男「降る雪や 明治は遠く なりにけり」は昭和6(1931)年
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