境屋旅館2 ルースは仙台に宿泊したか


 

 

全米チームの仙台到着について、「八木山物語」には以下の記述がある。 

 

 

 

「野球王ベーブ・ルースが仙台にやってきたのは、昭和9年11月9日の朝でした。(中略)

 

    ・・・ルースは午前7時18分仙台着の列車で、東京から到着しました。

駅前にはルースの顔を 一目見ようとたくさんの人が押しかけました。寒い朝でした。

 

    青森県弘前地方にはこの朝、初雪が降りました。外とうに身を包んだ選手団の中に

ルースを見つけた人たちから「ハロー、ベーブ・ルース」「万歳、ベーブ・ルース」

の声が飛びました。(中略)

 

    ・・・駅前でもみくちゃにされ、宿舎の国分町境屋旅館前でも歓迎を受けました。」

 

(八木山物語)

 


 

 日米開戦のわずか7年前。仙台市民の熱い歓迎、大リーグ野球とベーブ・ルースへ

圧倒的な思いがうかがわれ、感銘を受けるシーンである。

 

 一方でこの記載では、ルースは函館遠征に参加せず東京から仙台に着いたことになる。

しかし、関係資料をみるとルースは確かに函館に行っており※、記録上も日本での

18試合すべてに出場しているのである。

 

 ※東京に残ったコニー・マック監督に代わって選手と監督を兼務している。

「大戦前夜のベーブルース」

 

 

 

 そうすると、上の「青森県弘前地方に初雪が降った」「外とうに身を包んだ選手団」

という文脈の流れからも、

「東京から到着…」「函館(青森)から到着…」の誤記なのではないだろうか。

 

 函館での試合は8日の13時に開始されている。時間的にも、青函航路とその後の

鉄路移動を考えれば、8日午後5時半に函館港発、9日の朝7時過ぎに仙台駅着は

充分に現実的な時程※と思われる。

 

※昭和9年12月のダイヤ改正前、青森〜東京間は最短でも15時間以上かかって

 いたと思われる

当時の東北本線急行104列車が青森23時発、上野に翌14時30分着で、これに

 乗ったと仮定すれば、函館発午後5時半のフェリーからの接続や仙台駅への

 到着時間と符合すると思える。

  

ウィキペディア:「東北本線優等列車沿革」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E6%9C%AC%E7%B7%9A%E5%84%AA%E7%AD%89%E5%88%97%E8%BB%8A%E6%B2%BF%E9%9D%A9 

 

 

 特に、函館の試合は当初7日の予定が悪天候のため中止となり、その後の日程を

考えて函館では試合は行わず仙台に戻る予定が、函館出身の全日本久慈主将の強い

懇請により翌8日に試合を行った、といわれている。  

           職業野球 実況中継! http://shokuyakyu.blogspot.jp/2010/12/blog-post_11.html

  

 そのような事情のもとで、強行日程も辞さない決断がなされたということだろうか。

 

では、「宿舎が境屋旅館」という書きぶりをどう考えたらいいのか。

 

 当初の日程では宿泊の予定だったが函館での日程変更により、実際には

境屋旅館には9日の試合前後の休憩だけとなり、宿泊はしなかったと思われるのだが。

 

 

 

 いずれにしても、前後の日程は「大戦前夜のベーブ・ルース」の記載を合わせれば

 

 ・5日  10時から銀座松屋、11時から高島屋で歓迎行事に出席

      13時から神宮球場で全日本チームと対戦。5対1で勝利。

 

 ・6日  14時35分の夜行で函館へ。

 

 ・7日  早朝6時20分青森に到着。フェリーに乗り換え、正午前に函館着。

      13時30分開始予定の試合は悪天候のため中止となる。

 

 ・8日  13時から湯の川球場で全日本チームと対戦。5対2で勝利。

      17時半のフェリーに乗船。

      (青森から夜行列車に乗車)

      ※ここでも8日の箇所に「その日の宿泊先である境屋旅館は木造二階建ての

       純和風の旅館で、近隣の家屋に埋もれたようにたたずんでいた」と記載され

       ていて、翌9日の日程と整合していない。

        「八木山物語」とともに、突発的な日程変更による当時の混乱を象徴して

       いるようにも感じられる部分である

 

 ・9日  朝、仙台着。午前中は町を散策し、仙台在住のアメリカ人と昼食。

      13時から八木山球場で全日本チームと対戦し、7-0で勝利。

      宿で着替と食事の後に寝台列車で上京。

 ・10日  13時から神宮球場で全日本と対戦。先発の沢村に猛打を浴びせ10ー0で圧勝。

      前々日の函館での試合で8イニングを投げたゴメスが、全日本を2安打に

      抑え、三振18を奪う。

  ルースも仙台に続きホームランを放つ。

 

 

 

 

  ハードなスケジュールをものともしないメジャー・リーガーのタフガイぶり

(日本チームも日程は同様だったであろうが、慣れない極東の異国での生活、狭い日本人サイズの

「狭軌」鉄道に長時間揺られての移動…そして圧倒的にパワフルな連戦連勝)

には、ちょっと感動を覚えるものがある。

 


 

 

 ※昭和6年に来仙した大リーグ選抜チームも境屋旅館に宿泊していて、「新・目で見る仙台の歴史(宮城県教科書供給所)」には、昭和6年11月10日付の宿泊記念として、旅館前でのユニフォーム姿の選手団の写真が掲載されている。その横には昭和9年のものと思われる、浴衣姿のベーブルースの写真も。

 

  昭和6年の日米野球についてはこちら